→ 海の精株式会社ホームページへ

→ 塩の道クラブ
ホームページへ
ドクターソルトの塩百科 〜 7.歴史 〜
自然海塩ってどういうこと?   

昭和46年(1971年)、日本で伝統的に行われてきた塩田式の自然な製塩法が廃止され、全面的にイオン交換式という化学工業的な製塩法に切り替えられました。生命よりも経済を優先したこの事件が発端となって、「自然海塩」が生まれたのです。
自然海塩の定義!

「自然海塩」という言葉は、塩田廃止によって始まった自然塩復活運動の過程で日本食用塩研究会が初めて使った、日本の昔ながらの塩を意味する造語です。塩専売廃止後、その定義をめぐって色々と論議を呼んでおりますが、その本来の意味は次の通りです。

(1)製法が自然…海水のみを原料とし、加工助剤や食品添加物を使用せず、水分を蒸発することによって塩類の結晶を析出させていること。火力を用いたかどうかは問わない。

(2)成分が自然…塩化ナトリウムの純度が高すぎず、低すぎず、他の塩類をバランスよく含んでいること。海水中の微量元素を排除していないこと。

イオン交換塩は、(1)にも(2)にも該当しません。海外の天日塩のほとんどは高純度であり、(1)には該当しても(2)に該当しません。




自然塩復活運動の歩み

1)塩田存続運動:
昭和46年(1976年)4月に塩業近代化法が成立し、すべての塩田が廃止されて、イオン交換式製塩の7社のみが塩の生産を許されることとなりました。その主な理由は生産コストの低減でした。そこで、価格は高くてもかまわないから一部でも塩田の塩を残してほしい、という請願運動が展開されました。約5万名の署名を集めましたが時すでに遅く、請願はかないませんでした。ほとんどの国民も国会議員も、事の重要性に気づかないまま、有史以来連綿と続いてきた伝統的な海水蒸発法による塩(これを「自然塩」と称した)は失われ、化学工業的なイオン交換式による塩(これを「化学塩」と称した)に切り替わってしまったのです。

2)再製自然塩普及運動:
昭和47年(1972年)3月、食用塩調査会(日本食用塩研究会の前身)が組織され、塩の成分に関する科学的な調査を行いました。その結果、昔ながらの自然塩とイオン交換塩や精製塩では、ミネラル成分において大きな隔たりがあることが判明しました。そこで、塩専売法の範囲内で供給可能な、輸入天日塩を原料としたニガリ成分補足塩(これを再製自然塩と称した)を提案しました。そして、この塩を普及することによって、塩にも違いがあることを広く伝えていったのです。

3)自然海塩自給生産運動:
昭和51年(1976年)、食用塩調査会は伊豆大島に製塩研究所を設置して流下式に代わる自然製塩法の開発を始め、ネット式天日採鹹装置(立体塩田)と温室式天日採塩装置を完成させました。昭和54年(1979年)、日本食用塩研究会を組織して試験目的の塩製造許可を取得し、翌年には海水から直接生産した試験塩(これを「自然海塩」と称し、後の「海の精」につながる)の会員配付の承認を得ました。これによって、自然海塩の自給生産が実現したのです。

4)自然海塩自主流通運動:
昭和60年(1985年)、日本専売公社が日本たばこ株式会社となり、塩の試験製造が許可制から届出制に変わりました。日本食用塩研究会は平釜式採塩装置を導入するとともに、協力店制度を新設して自然海塩の自主流通を開始しました。これにより、昔ながらの自然海塩が復活され、その優秀性(おいしさと健康効果)が広く知られることとなったのです。

5)自然海塩一般流通運動:
平成9年(1997年)、塩専売法にかわって塩事業法が成立し、国産塩の製造販売が自由化されました。日本食用塩研究会は自然海塩の生産と流通を海の精株式会社に移管し、塩の製造販売事業を通じて自然海塩の一般流通をはかることとしました。平成14年(2002年)、塩専売廃止の経過措置が終了して輸入塩も完全自由化され、1世紀に及んだ塩専売の歴史に終止符が打たれたのです。この頃には、日本各地に自然海塩を生産する業者が多数出現するに至りました。

 
以上のような背景があって、「自然海塩」という用語が生まれたのです。それは、食品添加物や農薬などの化学薬品に汚染された食品があまりにも出回ったために、「自然食品」という用語が生まれたのと同様なのです。

 




日本の塩づくりの歴史


1)直煮式:
縄文時代の製塩土器が発見されているように、有史上の日本の塩つくりの初めは、海水をマキで煮つめる平釜結晶法であったと思われます。釜はこわれやすい素焼きの土器から、やがて鉄器へと変わっていきました。


2)藻塩式:
ホンダワラなどの海藻に海水を繰り返しかけて天日で濃縮し、土器や鉄器で煮つめる原始的な天日平釜法が、塩竈神社の儀式として伝わっています。万葉集の和歌から、海水をかけた海藻を焼き、灰を溶かして上澄み液を煮つめたという説がありますが、製塩技術的には疑問が残ります。




3)揚浜式:
満潮面より高い砂浜に海水をまいて天日で濃縮し、平釜で煮つめる天日平釜法。やがて人工的な揚浜塩田を作るようになりました。平安時代頃から始まったとされています。




4)入浜式:
満潮面より低い海浜に土手を築き、干満の差を利用して海水を流入させて天日で濃縮し、平釜で煮つめる天日平釜法。江戸時代から終戦直後まで続きました。



5)流下式:
ポンプを用いて、ゆるやかに傾斜した流下盤に海水を流して主に太陽熱で濃縮し、次にやぐらに竹枝をかけた枝条架に流して主に風力で濃縮し、平釜で煮つめる天日平釜法。戦後から昭和30年代にかけて実用化され、後期には減圧立釜(真空蒸発缶)を用いた、天日立釜法に変わっていきました。


6)イオン交換式:
電力とイオン交換膜を用いて海水を濃縮し、減圧立釜(真空蒸発缶)で煮つめるイオン膜立釜法。昭和46年(1976年)末をもって塩田は強制的に全廃され、イオン交換式に切り替えられました。伝統的に用いられてきた蒸発法(水分除去法の一種)とは反対の塩分抽出法であり、日本の塩の品質が本質的に変わることとなりました。このため、一部の消費者や学者から反対の声が上がり、やがて自然塩復活運動へと連なっていったのです。

ドクターソルト研究所 Copyright (C) 2006 All Rights Reserved.